2008年08月31日

ペナンにて

コタ・バルから入ったマレーシアも、プルフンティアン島、タマン・
ネグラ、クアラルンプール、マラッカ、ジョホールバル、
シンガポールと来て、今ペナンに居ます。
(こっちで売っている地図のほとんどは、ペナンではなくペナソと
表記されています)

マレーシアは、イスラム教の国なのでタイから入った直後や
シンガポールから帰ってきた時はその違いが鮮明になります。

そのマレーシアで最大の仏教寺院でもある極楽寺という所に今日は
行ってきたけれど、はっきりいって宗教色に乏しかった。
個人的な印象だけれども、中国寺院のほとんどが派手で豪華な造りの
ものばかりで宗教というよりも見栄の様なものを感じでしまう。

参拝している人も置かれている像に跨って写真を撮ったりと
節操がなかったのもあって、宗教建築物というよりもただ、
大きいだけの名所としか捕らえられなかった。

昨日行ったモスクで、色々とイスラム教について教えてくれた
モスリムの青年が敬虔に教えを守っている姿を見た次の日と
いうのもあるかもしれないがとても宗教としての崇高さ、神聖さの
ようなものは感じられなかった。

これが中国の仏教なのだと言われてしまえばそれまでなんだろうけど
何か物足りなさのようなものを感じてしまった、ペナン2日目。

この後は、もう少しペナンに滞在してランカウイへと向かいます。


posted by RD at 19:56| 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | マレーシア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月22日

夜行列車と兵士と国境超え

シェムリアップから到着した翌日には、バンコクを離れるつもりが
列車の予約が取れずに3日待たされた、スンガイコロク行き。

今回は、2等寝台の上段を手配した。
15:08定刻にフアランポーンを出発した列車には拳銃を携帯した
レイルウェイポリスが5〜6人位乗っていて、食堂車や空いている
座席で暇をつぶしていた。
タイの長距離列車は初めてだけど、いつもこんなに乗っているもん
なのだろうか?

車内は物売りがひっきりなしに行き交いなかなか賑やかな感じ。

19:00になり、頼んでおいた食事が座席に届き食べ終わった頃
くらいに係員がやってきて座席をベッドへと変えてくれた。
上段には窓がないので本を読んだりしているうちに寝てしまった。

タイの列車は、揺れるがベトナムほどではないのでゆっくり
寝ることができた。

朝は、7:30くらいに係員がやってきて座席に戻すのでその間は
食堂車で朝食を取った。

そうこうしているうちに、ハジャイの駅に到着。
ここでライフルを持った兵士(多分)が2人、車内を見回り始める。

タイ南部はイスラム教系のテロが多いらしく、この先の区間でも
テロの対象になった事があるらしい。
(外務所HPでは、「渡航の延期をお勧めします」だったが
観光局で聞いたら、国境を越える旅行者には特に問題はなしとの
事だった)

途中の駅でもライフルを持った兵士が警戒していた。

でも車内はそんな空気もなくのんびりとした感じ。

終点のスンガイコロクには1時間30分くらい遅れて到着。
まあ、こんなもんだろう。

駅前は屋台が立ち並んでいて両替所が1軒。
ここで1000バーツ分をリンギットに変えて、約1km弱の道を歩いて
国境へ。

大体が車やバイクで徒歩での国境越えは一人だけ。

出国・入国ともにすんなりで無事にマレーシアに入国出来た。
が、入国後にバス停を探すが見つからない。

何人かに聞くもののそれぞれ言っている事が違くて埒があかない。

仕方なしにイミグレまで戻ったところで旅行者に出会ったので
その人と一緒に探す。
最終的には何の案内も出ていない所がバスの発車場所だった。

ちなみに、ここで出会ったドイツ人カップルとはこの後、
9日間一緒に旅をした。
posted by RD at 17:37| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | タイ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月11日

カンボジア

カンボジアを抜けてバンコクに着いたので、カンボジアについて。


カンボジアもベトナム同様に悲惨な近代史のある国で、特に
プノンペンには、ポルポト時代の収容所で殺害された何人もの人の
顔写真や拷問器具などが展示してある、「トゥールスレーン刑務所
博物館」やトゥールスレーンから運ばれた人が大量に殺害されて
頭蓋骨の積み上げられた塔のある「キリングフィールド」などが
あるので主義・主張等が違うだけでこうも人は残酷になれるのかと
暗い気持ちにさせられた。

ただ、プノンペンで出会った人達といえばプノンペンに行く途中に
知り合った日本人の人とアリを食べてしまったレストランにいた
言葉もろくに通じないのに仕事もせず、ずっとこっちのテーブルに
居ついてたウエイターやニコニコしているだけのウエイトレス、
フロアのチーフクラスっぽい3人兄弟。
別の日には、酔っ払いのシクロドライバーとポリスとその友達に
イングランド人と我々を加えたわけの分からない3カ国交友を
してみたりとでとにかく明るかった。

国内が安定してそう時間がたっている訳でもないのに本当に
それを感じさせない人達ばかりだった。


移動したシェムリアップは観光の町と行った感じで外国人観光客で
溢れ返っていた。

アンコールワットとその周辺の遺跡は、初日にトゥクトゥクを
貸切って、「アンコールワット」「アンコールトム」「タケウ」
「タプローム」あたりの主要遺跡を周り、2日目は自転車で
40km弱走り外周の遺跡を周り、3日目は「バンテイスレイ」や
「地雷博物館」をトゥクトゥクで周ったので大体の遺跡を
見ることが出来た。
特に大した形容詞が思いつかないのだけど、本当にただただ凄い
といった印象でした。

でも、遺跡にならぶくらい楽しかったのが物売りの子供との接触。
だいたいどこの遺跡にも食事を取れるようなスペースがあり
遺跡から戻ってくると各テントから営業がかかる。
店の営業も熱心なので、2000リエルのコーラを4000リエルと言って
いる店にあたったら隣に料金を聞くと2000にしてくれたりする。

さらにそこでコーラでも飲もうものなら、物売りの子供が
やってくる。
こっちも大概の場合は、買わないのだが笑顔で断るようにしている
のが良いのか悪いのか大体3〜4人に囲まれる。
「1ドル買う」をずっと繰り返し言っているだけの子や、
「どっから来たの?」とか会話をしているだけで営業してこない子や
何故か花の絵に自分の名前を入れてくれる子まで実に様々で
こんなやりとりをしていると1人旅の寂しさも薄れてくる。

とにかくカンボジアの子供は良く働くしたくましい。

この子達が居れば今後のカンボジアは大丈夫なのかなと実に
お気楽な考えすらもっとしまった。

まあ、カンボジアも遺跡は凄かったんだけれどもやはり人との
関わりが面白かった。


ちなみに移動してきたバンコクは本当に大都会でトゥクトゥクの
営業も少ないし、物売りもやってこないのでちょっと孤独感が
感じてます。
posted by RD at 19:16| ☁| Comment(7) | TrackBack(0) | カンボジア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月08日

ベトナムの滞在記録

ベトナムでの滞在スケジュール

7/18 成田→(飛行機)→ハノイ ハノイ泊
7/19 市内観光(玉山祠) 風邪気味で午前中のみ
7/20 午前:市内観光(ホーチミンの墓、家、博物館、
   ハノイ大教会) 
   午後:ミーディンスタジアムでVリーグ観戦
   ハノイ→(夜行列車)→フエ
7/21 昼:フエ着 
   午後:市内観光(王宮、ティエンムー寺など)
7/22 終日市内観光(ぶらぶら散歩) 
   夜:停電
7/23 フエ→(バス)→ホイアン 午後:市内観光
7/24 午前:韓国人のクォン君とミーソン遺跡観光
   午後:市内ぶらぶら
7/25 自転車で市内ぶらぶら
   ホイアン→(夜行バス)→ニャチャン
7/26 朝:ニャチャン着
   終日:市内観光(大聖堂、隆山寺、ポーナガル、泥温泉)
7/27 ニャチャン→(バス)→ダラット
   午後:市内観光(湖、教会、市場をぶらぶら)
7/28 ダラット→(バス)→ホーチミン バス故障の影響で移動のみ
7/29 午前:市内観光(戦争証跡博物館、旧大統領官邸、サイゴン
   教会、中央郵便局)
   午後:ベンタイン市場
7/30 カオダイ教総本山とクチトンネル観光
7/31 午前:郵便局で荷物発送
   午後:チョロン観光
8/1 メコンデルタ観光 チャウドック泊
8/2 チャウドック→(ボート)→国境→(ボート、バス)→プノンペン

ベトナムはこんな感じ。
posted by RD at 14:36| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ベトナム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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