今はアテネに居ます。
ローマの後は、バリからアドリア海をフェリーで越えて、
ドブロブニク(クロアチア)へと渡り、モスタル(ボスニア)→
ベオグラード(セルビア)→サラエボ(ボスニア)→ドブロブニク
→コトル(モンテネグロ)→ポドゴリツァ(モンテネグロ)→
スコピエ(マケドニア)→テッサロニキ(ギリシャ)と旧ユーゴを
旅してきました。
その中で印象的だったの2つの場所。
一つ目は、コソボ。
コソボというと紛争とか治安が悪そうとかあまり良いイメージが
ないのではないかと思う。
でも、今回一旦セルビアに行ってから再びドブロブニクという
ルートを取ったためコソボを通る必要が出てきた(まあ、また
ベオグラードに戻っても良かったが)ので色々と調べてみた。
コソボについて
昨年の2月に独立を承認していて、日本を含む数十カ国が独立を
承認している。
なので日本の外交上でいうと、れっきとした独立国「コソボ共和国」
である。(セルビアは独立を認めていない)
その独立宣言から一年たったが経済状況は良くなっておらず、
独立したら経済が良くなると信じていた層からは失望が広がっている
そうだ。
ただ、これに関してはある程度の層ならセルビアからの独立が
経済的に厳しくなるのは分かっていたと思うけどそれでも民族的な
独立を望んだのだろうからとやかく言うことではないけど。
そんなコソボの今は、治安面ではだいぶ落ち着いていて多くは
ないが旅行者も居るようだ。
安宿を探すサイトにも宿が登録されていた。
日本での乏しい情報だとコソボなんて旅行する所ではまだないと
思っていたが違っていた事に驚いた。
今回は、トランジット通過のみなので実際の治安面は分からないが
民間のバスが通っているだけに特に問題はないのだと思う。
少なくとも日本でのイメージとは全然違うことだけは確かだった。
次にボスニア。
ボスニアも未だに内戦のイメージが強く、治安が悪そうなどの
イメージが残っている。
実際、すぐそばのドブロブニクで会った日本人2人にもボスニアから
来たと言ったら「大丈夫でしたか?」と聞かれた。
でも、旅をしてみての感想は全然問題なし。
夕方以降は、人通りも少なくなってて夜は宿で過ごしていたので
夜間は分からないが、昼間は平和そのもの。
治安面では内戦は完全に過去のものと言える。
その他の面での内戦はどうか。
これはまだ過去のものとは言えない気がする。
ボスニア人と話をした訳ではないのでなんとも言えないけれど。
何故かと言うと、バスの車窓を見ているだけでも分かる。
この国の過去に何があったのかを。
これは、仮に予備知識がなくても分かると思う。
おびただしい数の銃弾の残る建物がそのまま残っているから。
これは、サラエボだけの話ではなく途中の小さな町の建物にも
銃弾の跡がある。
広い範囲で戦闘があった証だ。
これを見てはっきりと分かったのが、戦争は兵士と兵士の戦いだけ
ではなく民間人も確実に巻き込まれているという事が。
当然、分かっていた事だけどこの目で見て改めて認識した。
戦争の後を博物館の様に保存された形ではなく、見たのは始めての
事で色々と考えさせられた。
以上の2つの事が印象的で自分の目で見て良かったと思う。
日本では中々見えてこない部分だからね。
で、今回こんなルートを取る羽目になったベオグラードダービーは
そのうちアップします。