再出発が迫っているので前回の旅で一番印象に残っている場所だけでも
更新しておきます。
一番印象に残っている場所は、イスラエルというよりパレスチナ。
何ヵ所かのパレスチナ自治区を訪れたのでその時の事を書いてみようと思います。
パレスチナといえば、中東問題で良く話題に上がる場所。
前回の旅で、トルコからエジプトへ陸路で抜けるルートを選んだ際に
行こうかどうか検討した場所。
そして、ラオスで会ったヨルダンでの青年海外協力隊での活動を
していた人から、「ヨルダンに行くならイスラエルに行ってみるといい」
と言われ、治安面でも注意が必要だが、情勢を見極めればさほど問題は
ないと言われたので訪問しようと思っていた。
そんなラオスの出会いから、数か月。
トルコからシリアへ入り、レバノン、ヨルダンのアンマンへ。
途中の宿に置いてある情報ノートにはイスラエル情報が多く
記載されるようになってきた。
どこのノートにも書いてあるのが入国に関する話。
あの辺を旅している人には有名な話なのだけど、イスラエル入国に
関してはかなり大変だというのだ。
というのも、イスラエルという国の複雑さからくる話で、イスラエルの
入国経験があると入国を拒否する国があるのだ。
(シリア、イエメンなどイスラエルを国として認めていない数カ国)
だが、これらの国へ訪問したいという人は多い。
するとどうするかというと、ヨルダンの出国・イスラエルの入出国・
ヨルダンの入国のスタンプを別紙に押してもらうのだ。
そうする事によって、イスラエルへの入国という事実を隠してしまえる訳。
ただ良く考えて見れば理由は分かるもののイスラエル側からすれば
面白い話ではない。
それが原因かどうかは分からないが、入国管理官に「別紙に押してくれ」
というと入国に時間が掛かるというのだ。
その辺の話が、情報ノートに書かれており、「3時間の放置プレーを
くらった」や「スタンプなしなら入国を拒否するといわれた」などの
話があった。
だだでさえ、別紙対応での入国が厳しい上に、今回はシリアへの入国
履歴がついている。
シリアなどがイスラエルを敵として見なすのと同様に、イスラエルも
同じ見方をしている。
さらに、一緒にイスラエルへ行こうとしていた5人全員がシリア入国済。
かつ、一人はパキスタン、イランなどイスラム諸国への入国履歴があり、
シリアはビザ延長して滞在と厳しい条件だった。
なので、皆で情報を吟味した上で、一つの情報に掛ける事にした。
それは、「金曜日がいいらしい」というものだった。
というのも、イスラエルはユダヤ教の国。
ユダヤ教の教えには、安息日(シャバット)があり、金曜の日没から
土曜日にかけては安息していなければならないので。
その為、国境も午前中までで早く安息に入る為に、どんどん人を捌いて
いくらしいので狙い目だというのだ。
情報ノートの情報は、その時たまたまという物も中にはあるのだけれど、
今回は説得力がある気がしたのでこれに掛けてみた。
出発当日、国境が早く閉まる可能性もあるので7時にはアンマン市内の
宿を出発した。
そこから、セルビスでバスターミナルへ。
バスターミナルからは、乗り合いのタクシーで国境を目指す。
最初は、途中で止めてチャイを飲むなど陽気だったドライバー。
その顔が途中から曇ってくる。
何故か、高速が通行止めになっているのだ。
次第に、苛立ちを隠さなくなってくるドライバー。
なんで通行止めかはほどなく判明。
「マラソン大会」が開催されていたのだ。
その為に遠回りと余儀なくされ、時間は掛かるは料金を多く請求されるはで
ドライバー以上にこっちもイライラしたが、片側だけ走れるように
なり順調に進むと皆でホッとした。
9時前にヨルダン側の国境に到着。
ヨルダンの出国は順調だ。
忘れずに、「別紙」お願いし出国完了。

ここからは、バスでキングフセイン橋を渡る。

監視塔。

キングフセインブリッジ。この下を流れるのがヨルダン川。
橋を渡りイスラエル側についた所で全員がバスから降ろされパスポートを
チェックされる。兵士は当然ライフル携帯。
その後、再びバスに戻り入国管理所へ。
到着したのが、9:30頃。
まずは、荷物のX線検査があり終わるとパスポートにシールが貼られる。
余談だが、このシールにも問題がありしばらくすると剥がれにくく
なるのだ。
これも、イスラエル入国の証拠になるらしく、カバーをしたりすぐ
剥がしてから貼りなおしたりと皆対処してた。
(これが本当に証拠になるかは分からないが、そういう噂だった)
この次は、人がX線を通ってパスポートコントロールへ。
ここが大行列だった。
午前しか開かないので、人が殺到している上に入国の審査には一人一人
時間を掛けて丹念にやる。
ここでも、イスラエル国民はスイスイだがパレスチナ人は時間が掛かる。
我々もOTHERなので一緒に待つ。
なかなか進まない、列に辛抱強く待つがそのうちに並んでいた窓口が
突然閉まる。
文句を言いたいところだが、全ては入国審査官さじ加減ひとつ。
諦めて別の列に並ぶ。
暇なので、並びながら周りを観察していたが入国審査官は女性ばかりで皆若い。
徴兵されてすぐにここに配属のだろう。
そんな彼女らが実に横柄な態度で、年配のパレスチナ人に対応している。
威厳を見せるようなマニュアルでもあるのか、自然とそうなって行くのか
実に違和感のある光景だった。(中には穏やかな対応の人もいたが)
一向に進まない列に、皆辛抱強くまっていたが中には娘があっちに
居るから入れてくれと言ってくる奴がいたりもしてそれには
イライラさせられた。
暇なのでさらに観察していると、アメリカのパスポートと別の
パスポートを持っている人達が結構すんなりと抜けていっていたのだが
あの人達はユダヤ人だったのだろうか?
到着から、3時間くらいは過ぎただろう時にようやく、我々のグループに
順番が回ってきた。
忘れずに、「別紙」をお願いするとパスポートをチェックされシリアの
スタンプを見つけられ、A4の用紙を渡され記入するように言われた。
A4の用紙には、直近の訪問国や滞在先・日数・目的などを書く欄があった。
記入し、用紙を渡すと再び待ちの時間が始まる。
一緒に行って、一番に用紙を渡した人が呼ばれ連れていかれる。
ここも情報ノートに書いてあった所で、ここが一番の勝負所なのだ。
人によっては別室に連れて行かれ、「なぜ、別紙なのか」や「シリアへは
何をしに?」やら「イスラエルに友人は居るか?」(この質問には
いないと答えた方がいいらしい)などを聞かれたりするらしい。
中には、荷物を全部出せと言われたり、カメラの写真を見せろと
言われた人もいたらしい。
そんな情報ノートに書かれていて笑ったのが、「ドMになりきりましょう」
「捨てられた子犬のような目で見ましょう」というのがあったが
こういう話を聞くとあながち間違ってないのかも知れない。
一人の人が抜けてから、かなりの時間が経ったがその後は誰も
名前を呼ばれずにひたすらの放置プレー。
気づけば周りの人もほとんど居なくなった頃に、やっと名前を
呼ばれた。
緊張しつつも、入国審査官と対峙する。
別室に連れて行かれる事もなく、横柄な態度でもなく質問される。
すんなりと答えた後に、「スタンプ押すんだったよね?」と
冗談っぽく言われて、慌てて「No,No」と否定したらあっさり
別紙に押してくれ終了。
皆、すんなりと入国出来て一段落。
でも、時計を見ると14:30過ぎ。
入国するのに5時間以上掛かりましたとさ。
その後は、俺らの後ろに居た数少ない人たちを待ってバスでエルサレムへ。
何故か宿が満室続きで、ようやく見つけた宿にチェックインした所で
問題発生。
皆、金が無いのだ。
アンマンで両替はしたものの、レートが悪かったので最小限だけに
とどめておいたのだ。
なので、至急両替が必要。
さらに、皆、朝食べったきりでその後は何も食べていないのだ。
皆かなりの空腹状態にあった訳だが、運が悪い事に今日は金曜日。
さらに、夕方。
ユダヤ教徒は安息に入る時間が近づいている。
慌ててATMを探すが、旧市街にあったATMはおそせる額が極端に少ない。
手数料を考えるととても非効率。
迷いと焦りと空腹でよく分からなくなりながらも最終的には、少し
レートが悪い所で両替してしまった。
そして、ユダヤ系の店は閉まってしまったのでアラブ系の店で
食事を食べてようやく落ち着く事が出来た。
とても長くて疲れる1日が終わったのだが、まだまだ疲れる事は
待っていたのだ。