2009年10月08日

死海

パレスチナ自治区を3か所周った後は、死海に行ってきました。

色々入国時に懲りたはずなのに、またもや金曜日に行ってしまった
為、日帰りが出来ず(安息日なので終バスが早い)高いYHに
1泊する事になってしまった。
4人もいて誰もこの事に気づかないなんて・・・。
旅に出ると本当に曜日感覚を失います。

でも、1泊すると決まったのでのんびりしてきました。

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ビーチパラソルもちゃんとありました。

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まずは、タバコを吸ってみた。

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お約束の新聞。
でも、持参知るのは俺達だけでした。定番じゃないのかな。

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泥パックも有名な様でこんな人が何人かいました。

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イスラムの女性は水着になる事はないので、服のまま入ってた。

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死海の周りはこんな感じの荒涼とした感じの大地でした。

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夕暮れの死海。対岸はヨルダン。

浮くとは知っていましたが本当に浮きます。
最初はバランスを取るのが難しかったですが、へんに動かなければ
問題なし。

ただ、塩分濃度がかなり高いので肌の弱い人は長い間入っていると
ピリピリしてきます。

目に入るともの凄く痛いです。目に入ってしまった子供が
多数いて、そこら中で鳴き声がこだましてました。

今回は、死海の中でも安い宿があるエンゲディビーチに
行きましたがそれでも1泊100NISとかなり高くつきました。

やっぱり中東圏を周る時は、曜日は大事だね。
posted by RD at 09:54| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | イスラエル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月06日

大混雑のエルサレム旧市街

物凄く疲れたイスラエル入国から一晩明けたこの日は、観光を
する事に。

と、その前に宿を変えました。
前日は疲れの為、妥協して宿を決めたものの汚い上に、安くもないので
再び宿探し。
前日に断られた2軒の宿に再びアタックするも玉砕。
エルサレムの宿がそんなに混んでいるという話は聞いていなかったので
戸惑いつつも、Hebron Hostelという所に空きがあったので決める。
18人くらいのドミで1泊40NISの宿でした。
共有スペースもあって、シャワーの湯量も豊富でなかなかな所でした。
ただ、ここのドミも満員状態だった。

宿も決めたので早速観光へ。

エルサレムの主要観光地は旧市街の城壁の中に集まっています。
宿も城壁の中なので主要観光地へはすぐ行けちゃいます。

ただ、城壁の中の道は狭い上に両側には商店。
買いものをする人と行きかう人でかなりの熱気。

といいたい所ですが、実際は歩くのが困難な程の大混雑。
人混みが嫌いな人間としてはだんだん、イヤになってくる。

そんな感じになりつつも、キリストが処刑されたゴルゴダの丘や
嘆きの壁、岩のドーム(外観のみ)を見て周る。

どこも人がいっぱいで昨日に引き続き疲れる。

が、宿に戻り混雑の原因が判明。

まず、ユダヤ教は三大祭の一つペサハ(過越しの祭)中で、
キリスト教イースターの期間中でした。

3つの宗教の重要な場所であるエルサレムにおいて、そのうちの
2つの宗教の重要期間中では混雑も当然だった。

ペサハは期間中だとは知っていたが、イースターだとは思わなかった。

という事で、この後しばらくは混雑や交通機関の間引き運転などで
色々と影響を受けたのでした。


dome.JPG
イスラム教の「岩のドーム」

nagekinokabe1.JPG
ユダヤ教の「嘆きの壁」

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嘆いてみた。ちなみに嘆きの壁に近づくには「キッパ」と
呼ばれるものを頭に被らなくてはいけない。

kyoukai.JPG
キリスト教のゴルゴダの丘にある、「聖墳墓教会」の入口。

posted by RD at 12:52| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | イスラエル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月05日

イスラエル入国

再出発が迫っているので前回の旅で一番印象に残っている場所だけでも
更新しておきます。

一番印象に残っている場所は、イスラエルというよりパレスチナ。
何ヵ所かのパレスチナ自治区を訪れたのでその時の事を書いてみようと思います。


パレスチナといえば、中東問題で良く話題に上がる場所。
前回の旅で、トルコからエジプトへ陸路で抜けるルートを選んだ際に
行こうかどうか検討した場所。

そして、ラオスで会ったヨルダンでの青年海外協力隊での活動を
していた人から、「ヨルダンに行くならイスラエルに行ってみるといい」
と言われ、治安面でも注意が必要だが、情勢を見極めればさほど問題は
ないと言われたので訪問しようと思っていた。

そんなラオスの出会いから、数か月。
トルコからシリアへ入り、レバノン、ヨルダンのアンマンへ。
途中の宿に置いてある情報ノートにはイスラエル情報が多く
記載されるようになってきた。

どこのノートにも書いてあるのが入国に関する話。

あの辺を旅している人には有名な話なのだけど、イスラエル入国に
関してはかなり大変だというのだ。

というのも、イスラエルという国の複雑さからくる話で、イスラエルの
入国経験があると入国を拒否する国があるのだ。
(シリア、イエメンなどイスラエルを国として認めていない数カ国)

だが、これらの国へ訪問したいという人は多い。

するとどうするかというと、ヨルダンの出国・イスラエルの入出国・
ヨルダンの入国のスタンプを別紙に押してもらうのだ。

そうする事によって、イスラエルへの入国という事実を隠してしまえる訳。

ただ良く考えて見れば理由は分かるもののイスラエル側からすれば
面白い話ではない。

それが原因かどうかは分からないが、入国管理官に「別紙に押してくれ」
というと入国に時間が掛かるというのだ。

その辺の話が、情報ノートに書かれており、「3時間の放置プレーを
くらった」や「スタンプなしなら入国を拒否するといわれた」などの
話があった。

だだでさえ、別紙対応での入国が厳しい上に、今回はシリアへの入国
履歴がついている。

シリアなどがイスラエルを敵として見なすのと同様に、イスラエルも
同じ見方をしている。

さらに、一緒にイスラエルへ行こうとしていた5人全員がシリア入国済。
かつ、一人はパキスタン、イランなどイスラム諸国への入国履歴があり、
シリアはビザ延長して滞在と厳しい条件だった。

なので、皆で情報を吟味した上で、一つの情報に掛ける事にした。

それは、「金曜日がいいらしい」というものだった。
というのも、イスラエルはユダヤ教の国。
ユダヤ教の教えには、安息日(シャバット)があり、金曜の日没から
土曜日にかけては安息していなければならないので。

その為、国境も午前中までで早く安息に入る為に、どんどん人を捌いて
いくらしいので狙い目だというのだ。

情報ノートの情報は、その時たまたまという物も中にはあるのだけれど、
今回は説得力がある気がしたのでこれに掛けてみた。

出発当日、国境が早く閉まる可能性もあるので7時にはアンマン市内の
宿を出発した。

そこから、セルビスでバスターミナルへ。
バスターミナルからは、乗り合いのタクシーで国境を目指す。
最初は、途中で止めてチャイを飲むなど陽気だったドライバー。
その顔が途中から曇ってくる。
何故か、高速が通行止めになっているのだ。
次第に、苛立ちを隠さなくなってくるドライバー。

なんで通行止めかはほどなく判明。
「マラソン大会」が開催されていたのだ。
その為に遠回りと余儀なくされ、時間は掛かるは料金を多く請求されるはで
ドライバー以上にこっちもイライラしたが、片側だけ走れるように
なり順調に進むと皆でホッとした。

9時前にヨルダン側の国境に到着。
ヨルダンの出国は順調だ。
忘れずに、「別紙」お願いし出国完了。

jordan.JPG

ここからは、バスでキングフセイン橋を渡る。

border1.JPG
監視塔。

border2.JPG
キングフセインブリッジ。この下を流れるのがヨルダン川。

橋を渡りイスラエル側についた所で全員がバスから降ろされパスポートを
チェックされる。兵士は当然ライフル携帯。

その後、再びバスに戻り入国管理所へ。
到着したのが、9:30頃。

まずは、荷物のX線検査があり終わるとパスポートにシールが貼られる。

余談だが、このシールにも問題がありしばらくすると剥がれにくく
なるのだ。
これも、イスラエル入国の証拠になるらしく、カバーをしたりすぐ
剥がしてから貼りなおしたりと皆対処してた。
(これが本当に証拠になるかは分からないが、そういう噂だった)

この次は、人がX線を通ってパスポートコントロールへ。

ここが大行列だった。
午前しか開かないので、人が殺到している上に入国の審査には一人一人
時間を掛けて丹念にやる。

ここでも、イスラエル国民はスイスイだがパレスチナ人は時間が掛かる。
我々もOTHERなので一緒に待つ。

なかなか進まない、列に辛抱強く待つがそのうちに並んでいた窓口が
突然閉まる。

文句を言いたいところだが、全ては入国審査官さじ加減ひとつ。
諦めて別の列に並ぶ。

暇なので、並びながら周りを観察していたが入国審査官は女性ばかりで皆若い。
徴兵されてすぐにここに配属のだろう。

そんな彼女らが実に横柄な態度で、年配のパレスチナ人に対応している。
威厳を見せるようなマニュアルでもあるのか、自然とそうなって行くのか
実に違和感のある光景だった。(中には穏やかな対応の人もいたが)

一向に進まない列に、皆辛抱強くまっていたが中には娘があっちに
居るから入れてくれと言ってくる奴がいたりもしてそれには
イライラさせられた。

暇なのでさらに観察していると、アメリカのパスポートと別の
パスポートを持っている人達が結構すんなりと抜けていっていたのだが
あの人達はユダヤ人だったのだろうか?

到着から、3時間くらいは過ぎただろう時にようやく、我々のグループに
順番が回ってきた。
忘れずに、「別紙」をお願いするとパスポートをチェックされシリアの
スタンプを見つけられ、A4の用紙を渡され記入するように言われた。

A4の用紙には、直近の訪問国や滞在先・日数・目的などを書く欄があった。

記入し、用紙を渡すと再び待ちの時間が始まる。

一緒に行って、一番に用紙を渡した人が呼ばれ連れていかれる。

ここも情報ノートに書いてあった所で、ここが一番の勝負所なのだ。
人によっては別室に連れて行かれ、「なぜ、別紙なのか」や「シリアへは
何をしに?」やら「イスラエルに友人は居るか?」(この質問には
いないと答えた方がいいらしい)などを聞かれたりするらしい。

中には、荷物を全部出せと言われたり、カメラの写真を見せろと
言われた人もいたらしい。

そんな情報ノートに書かれていて笑ったのが、「ドMになりきりましょう」
「捨てられた子犬のような目で見ましょう」というのがあったが
こういう話を聞くとあながち間違ってないのかも知れない。

一人の人が抜けてから、かなりの時間が経ったがその後は誰も
名前を呼ばれずにひたすらの放置プレー。

気づけば周りの人もほとんど居なくなった頃に、やっと名前を
呼ばれた。
緊張しつつも、入国審査官と対峙する。

別室に連れて行かれる事もなく、横柄な態度でもなく質問される。
すんなりと答えた後に、「スタンプ押すんだったよね?」と
冗談っぽく言われて、慌てて「No,No」と否定したらあっさり
別紙に押してくれ終了。

皆、すんなりと入国出来て一段落。

でも、時計を見ると14:30過ぎ。
入国するのに5時間以上掛かりましたとさ。

その後は、俺らの後ろに居た数少ない人たちを待ってバスでエルサレムへ。

何故か宿が満室続きで、ようやく見つけた宿にチェックインした所で
問題発生。

皆、金が無いのだ。
アンマンで両替はしたものの、レートが悪かったので最小限だけに
とどめておいたのだ。

なので、至急両替が必要。
さらに、皆、朝食べったきりでその後は何も食べていないのだ。

皆かなりの空腹状態にあった訳だが、運が悪い事に今日は金曜日。
さらに、夕方。

ユダヤ教徒は安息に入る時間が近づいている。
慌ててATMを探すが、旧市街にあったATMはおそせる額が極端に少ない。
手数料を考えるととても非効率。

迷いと焦りと空腹でよく分からなくなりながらも最終的には、少し
レートが悪い所で両替してしまった。

そして、ユダヤ系の店は閉まってしまったのでアラブ系の店で
食事を食べてようやく落ち着く事が出来た。

とても長くて疲れる1日が終わったのだが、まだまだ疲れる事は
待っていたのだ。




posted by RD at 10:47| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | イスラエル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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